🌿審神者・吉祥礼コラム
「それ、ほんとうに光ですか?」
~スピリチュアル業界でよく使われがちな“マウント語”たち~
スピリチュアルな道において、言葉は刃にも、祈りにもなります。
そして、ときにその“祈り”は、無意識のうちに他者への優越感という衣をまとい、「あなた、まだそこなの?」と聞こえることも──。
今日は、そんな場面で耳にしやすい「光だけど、ちょっとまぶしすぎる」言葉たちを、審神者としての視点から取り上げてみたいと思います。
🥇第1位:「それ、あなたのエゴですよ」
表面は“気づき”の提示、しかし実際には「私はもう超越してるけどね」という宣言に聞こえることがしばしばあります。
本当にエゴを手放した人は、他人のエゴにも優しいものです。
むしろ「そこにエゴがあるのなら、よくぞ今、気づけたね」と寄り添うのが霊性の本質ではないでしょうか。
🥈第2位:「あなたはまだ目醒めていないだけ」
これは“覚醒者あるある”な言葉ですが、「目醒めていない=レベルが低い」と誤解されやすく、マウント的に響くことも。
魂の開花には個々のタイミングがあります。
どんな段階も尊く、それぞれが“神の計らい”であることを忘れてはなりません。
🥉第3位:「私は上(高次)とつながっているので」
もちろん、それ自体は素晴らしいことです。
ただし、それを言うときに“上から目線”が乗ってしまうと、「高次元アピール=下界否定」に変わってしまうのです。
本当に高次の存在とつながっている人は、地に足をつけ、最も低きに降りてゆく謙虚さを持ちます。
🕊番外編:「カルマだから仕方ないね」
“カルマ”を免罪符にして他者の苦しみを突き放すのは、霊的な怠慢です。
たとえカルマであっても、私たちは「共に祈り、共に癒す」ために存在しているのです。
カルマとは見捨てる理由ではなく、愛を注ぐきっかけであるべきです。
🌌結びに
スピリチュアルな世界は、言葉一つで救いにも分断にもなります。
そして、最も大きなエゴは、“自分はもうエゴを超えた”と思い込むこと。
だからこそ、私はこう問い続けます。
「その言葉に、“愛”は宿っているか?」
すべての言葉が、光の道を照らしますように。
そしてその光が、他者を照らすのではなく、共に歩む道を静かに照らすものでありますように。
── 審神者・吉祥礼 拝