疾走する者の孤独と美。勝利と滅びを駆け抜けた、短き風のような生涯。
軍神の才を抱いた、数奇な運命
源義経――その生涯は、まさに風のようであった。
北の覇王・藤原秀衡の庇護のもと、奥州で育まれた彼は、強靱な軍才と純粋な心を併せ持つ存在となっていった。
一ノ谷、屋島、壇ノ浦。 平家を悉(ことごと)く滅ぼし、その名は一気に天下に響く。だが、その戦法は「武士らしくない」とも揶揄され、
「卑怯なり!」
と罵られた。
だが、義経にとって、勝利こそが正義だった。 彼は信念ではなく、風のように本能と才覚で戦った。
その背後には、奥州藤原氏という朝廷すらその存在を黙認し続ける東北の覇者の支えがあった。 軍事力も、経済力も、頼朝に劣らぬものを持ち、彼自身もただの「配下」で収まるつもりなどなかった。
それを頼朝は、深く恐れた。
純粋がゆえの破滅
義経は、純粋だった。 だからこそ、兄・頼朝を信じてしまった。
だからこそ、源氏と並び立つ武家の名門・平家を容赦なく討ち滅ぼしてしまった。 だからこそ、後白河法皇の策略に巻き込まれ、「判官」の官位を、頼朝の許可なく勝手に受けてしまった。
そのすべてが、彼を“裏切り者”とする理由になっていった。
彼にモラルがなかったのではない。 彼は「戦」にしか忠実でいられなかったのだ。
そして、その風のような忠義は、やがて命を削りはじめる。
静御前との愛と、忠臣たちとの最期
義経は白拍子の舞姫、静御前を愛した。 それは短く、哀しく、凛とした愛だった。
そして彼には、無二の忠臣たちがいた。 武蔵坊弁慶、佐藤兄弟。
最期の地、奥州。 藤原氏の内紛により庇護を失い、頼朝に引き渡される形で、義経は命を絶たれる。
その時、弁慶は立ち往生のまま命を落としたという。
忠義の極致が、そこにはあった。
源氏の勝利と、義経の死
皮肉にも、義経を失ったことで、頼朝はようやく日本の覇者となった。 だが、源氏の血統は三代で滅び、権力は頼朝の妻の北条家、彼女の弟の北条義時の手へと移っていく。
義経の死は、頼朝の勝利であり、同時に源氏の魂の死でもあった。
武士の世が始まっても、平家が滅んでも、
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
その響きは、誰にとっても等しく響くのだ。
義経。 あなたの風は、敗れてなお、美しかった。
吉祥礼
