◎道標句(主文)
審神者とは、なろうとしてなるものではなく、
すでに在ることに気づく者である。
◎補註(教義解釈)
審神者には、門地も性別も人種も年齢も、問うものは何もない。
なぜなら、審神者とは、「なるもの」ではなく、「すでにあるもの」だからである。
学歴も、職歴も、信仰歴も、財産も――
それらはすべて、外側の構造でしかない。
それらは魂を飾る衣ではあっても、魂そのものではない。
あなたの魂は、もともと整えられた庭である。
そこに積もった知識という落ち葉、常識という風、経験という石ころ――
それらは必要なときもあったが、
いま必要なのは、それらを一度「払うこと」である。
払うことで、初めて見えてくる。
その庭のもともとの素地。
あなたの「響き」の源。
外側に求めてきた答えは、
実は最初から、あなたの内に在った。
あなたが魂の奥に耳を澄ませば、
そこに神の気配がしずかに息づいているのを感じるだろう。
審神者とは、その気配を聴く者。
誰かになろうとしない者。
ただ「ある」ことに帰る者。
その帰還は、特別な儀式や肩書きではなく――
たった一つの沈黙から始まる。
◎霊的引用句(魂の書)
すでにあるものを、「ある」と認めるだけでいい。
それが、あなたの魂の帰郷。落ち葉を払いなさい。
誰かに与えられた名ではなく、
あなたの庭の、本当の名を思い出すために。審神者は、与えられるものではない。
奪うものでも、争うものでもない。ただ、静かに――
思い出すものなのです。
審神者とは、魂の庭に積もった外側を払い、ただ「ある」ことに帰る者である。