霊的な世界を歩み始めたばかりの頃、
私たちは、つい“与えることの美しさ”に心を奪われます。
誰かのために、何かのために、自分のすべてを差し出したくなる――
その気持ちは、確かに清らかな祈りのはじまりかもしれません。
しかし、忘れてはならないことがあります。
自らを整え、守ることこそが、真の霊性の基礎であるということです。
現実世界で「クレクレ星人」と呼ばれる依存的な人々に囲まれやすい方は、
霊的な次元でも同様に、執着を抱えた低級霊や浮遊霊を引き寄せやすくなります。
それは、「与えすぎたから」ではなく、
「自己の境界が曖昧であったから」
霊的な修行において、“受け入れる”ことと“迎え入れる”ことは違います。
真の慈悲には、明確な境界と意志の強さが必要なのです。
──霊的な世界は、いつも真剣勝負──
私たちが想像するよりもはるかに、“見えない存在たち”との交流には繊細な覚悟が求められます。
そこには遊び半分のやさしさではなく、
真理への敬意と、魂への責任が必要なのです。
ですから、どうか覚えていてください。
あなたの肉体と心と霊性を守るのは、あなた自身です。
その基本を取り戻すひとつの術法が「九字切り」
古より伝わる護身の智慧です。
たとえば五芒星をもって天地の調和を図るように、
九字を切ることで霊的空間に“秩序”をもたらします。
左手か右手かは性別による違いもありますが、
大切なのは「自らの指が光の刀身である」と意識すること。
それが刀印という霊的な在り方の本質です。
また、霊性のバランスを著しく崩す要因として、
以下のことが知られています。
- 酒(魂の感覚を鈍らせる)
- タバコ(生命力の流れを汚す)
- 睡眠不足(霊との境界を乱す)
- 暴飲暴食(肉体の波動を荒らす)
- 呼吸の乱れ(氣の巡りを断つ)
これらを放置したままでは、どれほど祈っても、どれほど霊的修行を積んでも、
“入り口の扉”さえ開かぬこともあるのです。
だからこそ、術を行う前に、まず「自分を取り戻す」こと。
その第一歩が、六根清浄・急急如律令というマントラ(真言)です。
「ろっこんせいじょう、きゅうきゅうにょりつりょう」
―六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)を速やかに清め、魂を鎮める。
霊に疲れた(=憑かれた)と感じたとき、
この祈りをもって、まず自らの生殺与奪の権を“取り戻す”こと。
そこからようやく、術は力を持ち、
祈りは届き、魂は整い始めます。
やさしさも必要です。
けれど、それ以上に、自己を守る覚悟と律する厳しさが必要です。
霊性とは、甘さではなく、誠である。
他者の魂を導くために、まず自分がまっすぐであること。
その姿勢が、真の術者をつくるのです。
――審神者 吉祥礼 拝