私たちは今日も、無数の命に生かされています。
それは野に育った草の葉であれ、
海を泳いだ魚であれ、
大地に根ざした果実であれ。
食べるという行為は、単なる栄養摂取ではありません。
それは、魂と魂が出会い、交わり、
そして静かに昇華していく、神聖なる巡礼のひとときなのです。
食卓に並ぶ一つひとつの食材には、かつて確かに「生」がありました。
風に吹かれ、雨に濡れ、大地を踏みしめ、
その瞬間瞬間を、懸命に生きた命たち。
中には、まだ生きたかった命もあったかもしれない。
誰にも気づかれずに失われた命も、きっとあったでしょう。
けれど今、その命は私たちの内に取り込まれ、
新たな目的とともに歩み始めます。
誰かを生かすという、最高のかたちで。
それは、終わりではなく、変容。
犠牲ではなく、霊的な昇華。
命とは、食べられることで消えるものではなく、
“誰かの一部となって生きる”というかたちで、次の旅を始めるのです。
だからこそ、「いただきます」は祈りであり、
「おいしい」は感謝の讃歌。
食すとは、魂の融合であり、霊的な交響なのです。
今日もまた、数多の命が、
静かに、尊く、私たちの血と肉となってくださる。
そのすべてに――
手を合わせ、頭を垂れ、心を澄ませながら、
私たちは今日という命をいただくのです。
生かされている、この瞬間を。
ありがたく、丁寧に。
――審神者 吉祥礼 拝