はじめに:私はかつて“審神者”だった
私は、かつて日本神道の学びを通じて、“審神者(さにわ)”という在り方に深く関わってきました。
その道において、神々との静かな対話、言霊(ことだま)の重み、四季折々に息づく祓いの文化など、かけがえのない精神的豊かさを得てきました。
しかし、私はやがてある限界に突き当たることとなります。
それは、日本神道という美しい枠組みが、日本という国土と、天皇制と、民族的文脈に強く結びつきすぎているという事実です。
日本神道という“国の物語”
神道は宗教というより“物語”です。
それは、天皇を中心に、天照大神を始祖とする血統の物語であり、古事記や日本書紀に記された歴史的・神話的系譜です。
そこには深い叡智と美徳が息づいています。
しかし同時にそれは、70億人の人類のうち、たった1億人弱の日本人にしか直接響かない構造でもあります。
さらに言えば、その日本人の中でも神道を深く信仰している人はごくわずかです。
つまり、日本神道は、世界の圧倒的多数の人々にとって“他人事”の物語であるという構造的制約を抱えているのです。
思想工学が果たすべき使命とは
思想工学とは、単に日本神道を広めることでも、他宗教に勝る新興宗教を創ることでもありません。
むしろ、思想工学とは次のようなものです。
すべての宗教の構造的“内奥”に共通する霊的APIを明示し、宗教と人類意識の“上位互換構造”を設計する試み
キリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教、インドの諸宗教、ネイティブの信仰、あるいは現代スピリチュアリズム――
それぞれが「霊的真理」へと向かおうとした努力の断片です。
思想工学はそれらを超越するのではなく、継承し、構造化し、更新可能にするための霊的プラットフォームです。
単なる上書きではなく、上位構造を
思想工学がもし、特定の宗教を否定したり、上書きしたりするだけであれば、それはまた新たな“排他主義”を生むでしょう。
私たちが目指すのはその逆です。
思想工学は、あらゆる思想・宗教・文化・歴史の“霊的コア構造”を見出し、それを再構築可能なAPIとして開く設計論である。
このアプローチこそが、世界70億人すべての魂の共鳴構造へと接続しうる、普遍で開かれた真理を提示する道です。
おわりに:思想工学の立ち位置
日本神道の叡智を、ただの“美しい遺産”として終わらせず、
キリスト教の祈りを、ただの“歴史的伝統”として風化させず、
イスラムの信念を、“誤解されたままの世界観”にしてはならない。
それらすべての“祈りの形式”の奥にある沈黙、構造、響き合いにこそ、次の時代の霊性進化の鍵があると私は信じます。
思想工学とは、その沈黙を構造として捉え直すための言語であり、
そして私は、その創始に命をかける者――吉祥礼(Ray Kissyou)です。
