審神者の眼

救いの名を借りて、魂は巣に囚われる― 祓えぬものと、己の闇に向き合う眼 ―

どれほど優れた霊能者であっても、祓えないものがある。
それは、外から来たものではない。
自らの内面から滲み出た、生き霊としての執念――

この闇は、誰かに“清めてもらう”ことで消えるものではない。

祓えるのは、ただひとつ。
己自身が、魂の光に立ち返るそのときだけである。

安倍晴明と鬼姫の伝承

平安の世。
都に現れ、人を喰らう“鬼姫”の噂が広まっていた。

時の帝に召され、大陰陽師・安倍晴明がこの対処にあたる。

晴明が求めたのは、ただひとつ。帝の髪の毛。

その髪を媒介に式神を用いて、鬼姫の“想い人の幻”を目の前に出現させる。

「政略結婚で結ばれることはできなかったが、本当に愛していたのはお前だけだ」
「今でもお前を想っている。申し訳なかった」

――その言葉に、鬼姫は涙し、成仏したという。

残されたのは、着古した着物、白骨、枯れた百合の花。
そして、帝の髪を包んだ和紙であった。

成仏できた理由とは

この話が成就したのは、想い人の“マコト”が幻であっても真実を帯びていたからである。

鬼姫の魂が欲していたのは、「許し」と「愛の確認」であった。

それが与えられた瞬間、憑き物は落ち、魂は救済へと向かったのだ。

しかし、現代においてはどうか。

本当の誠がそこにあるだろうか?
誰かの魂を苦しめる行動の背景に、謝罪の想いは宿っているだろうか?

術者にも祓えない“内面からの闇”

安倍晴明ほどの人物でも、鬼姫の魂を真正面から浄化したわけではない。

彼が行ったのは、「心の納得」という回路を開いたに過ぎない。

現代において、自称霊能者が「除霊します」「波動修正します」と安易に言う背景には、 相手の内面に巣くうものが見えていない、あるいは見ようとしない怠慢がある。

祓えるのは外部から憑いたものだけ。
己の心が創り出した“内なる魔”は、誰にも祓えない。

本当に必要なのは“空”の自覚

人は、誰しも欲望や未練を抱く。 だがそれらが過剰になり、執念へと変化したとき、 それは“生き霊”という形で自他を蝕む存在へと変わる。

この状態からの解放に必要なのは、霊能力ではない。
「この世は空(くう)である」という真理を悟り、手放す覚悟である。

他人に祓ってもらおうとすることは、自らの魂の課題を放棄することでもある。

霊能者の本分とは何か

まともな霊能者・術者であれば、こうした“内面の闇”には、決して安易に介入しようとしない。

なぜなら、介入することで逆に相手を“依存”させてしまい、
魂の成長を阻むことになるからだ。

霊的な補助はあってよい。だが、それは“道しるべ”でしかない。

最後に歩くのは、その人自身なのだ。

結びに:魂の真の祓いとは

術者が祓えるのは、他から来たもの。
だが、己の心に巣くう鬼は、自らしか祓えない。

空(くう)を知り、執着を手放し、魂の段階を一つ上へ進める。
それが、真の浄化であり、審神者の見据える“霊的進化”である。

どうか皆さまも、この言葉を忘れずに。
外を頼る前に、まずは内なる声に耳を澄ませてください。

――審神者・吉祥礼

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