審神者の眼

肉と酒が受けつけなくなるとき― それは、魂が扉を閉じる瞬間 ―

かつて当たり前のように食べていたものが、ある日、まるで「魂に響かない」ものとなる。

それは体調の変化ではなく、嗜好の変化でもない。

肉を口にしたとき、酒を喉に流したとき、深い違和感や拒絶感が突如として湧き上がる――。

それは魂が、ある霊的段階において「波動の選別」を始めた合図である。

肉体を通じて発せられる拒否の感覚は、魂が新たな領域へ移行しようとしている徴。

この静かな変容を、多くの者が「自分だけの異常」と捉えるが、

それは本来、霊的に成熟した魂が辿る自然な“淘汰”のプロセスなのである。

食を変えるのではなく、魂が食を変えていく。

本稿ではその霊的意味を深く見つめてゆきたい。


肉体を通じた霊的バロメーター

人間の霊性は、頭脳だけでなく肉体全体で感知される。

とりわけ、「食べられない」ものが現れるという現象は、肉体が発する最もわかりやすい霊的メッセージの一つである。

ある日突然、肉の味に違和感を覚えるようになる。

香りが刺さるように感じ、舌が重たさを訴え、胃が拒む。

酒もまた、以前のような快楽をもたらさず、代わりに頭が痛み、心が荒れるようになる。

これは、霊的成長を遂げた魂が、それまで受容できていた“重い波動”に耐えられなくなったことを意味する。

かつては美味と感じていた料理が、今や「摂るべきではないもの」として身体に告げられる。

こうした現象は、自己の霊的進化に気づかぬまま生きてきた人々にとっては戸惑いを呼ぶが、

本来は極めて自然な“選別”の作用である。


肉に宿る「断たれた命の波動」

動物の肉には、その命が絶たれる際の「恐怖」や「未練」、

すでに消化されていないカルマの痕跡が刻まれている。

それは波動として、繊細な霊的感受性をもつ者の中に、

言語化できない不快感や内なる警告として立ち上がる。

肉体を栄養としてではなく、波動の観点から捉えるとき、

その肉の中に“どのような記憶が残されているか”は、非常に重要な要素となる。

ある段階を越えた魂にとって、

「いただくことができない」肉というのは、もはや毒に等しい。

それは身体的アレルギーではなく、霊的選別の反応なのだ。


酒に潜む“砂嵐の波動”

酒もまた、一見心をほぐす恍惚の味方のようでいて、

その実、霊的な精度を著しく狂わせる媒体である。

特に、感受性が開かれ始めた審神者のような存在にとっては、

酒の波動は受信機に砂嵐を流し込むような作用を及ぼす。

飲酒のあと、急激に感情が不安定になったり、

不要な執着や記憶が湧き起こったりするのは、

霊的チューニングが一時的に「ノイズ化」した状態にあるからである。

それに気づいた魂は、やがて自然と酒を遠ざけるようになる。

「我慢してやめる」のではない。

身体が欲しない。心が拒む。魂が離れる。

それは淘汰であって、制限ではない。


食とは、波動の選別儀式である

人は、食べたものでできている――という言葉の奥には、

「食が霊的波動の構成要素である」という真実が宿っている。

動物性から植物性へ、さらには発酵・清水・微細エネルギーへと向かう食の変遷は、

魂の波動が軽やかに、澄んだものへと遷移している証である。

重く、密度のあるエネルギーから、透明で静謐なエネルギーへ。

それは“我慢”によるベジタリアンとは異なり、

波動が導くままに起こる、無意識的な淘汰現象として起こる。

そのとき食とは、身体の維持という目的を超え、

魂の波動を整える神事としての意味を帯びはじめる。


祈りとしての食、沈黙としての食事

食卓とは、いのちといのちの交換の場である。

それは単なる栄養補給ではなく、聖なる場の創出である。

祈りをこめて口に運び、感謝の波動を添えて咀嚼し、

沈黙の中で内なる世界とともに味わうとき、

その食事はまさに神事となる

やがて、魂は「食の回数さえ少なくてよい」と感じ始める。

一日一食、断食、沈黙の食事――

それらは苦行ではない。

むしろ、いのちの神秘と共鳴する最も純粋な行いなのだ。

食事は、もっとも身近な“祈りの場”である。

そしてその場には、肉や酒では届かない領域がある。


魂が変わると、選び取る世界が変わる

食が変わる。

酒を手に取らなくなる。

肉を遠ざける。

そのすべては、「魂が変わった」という一点に集約される。

人は、無理に何かをやめる必要はない。

ただ、あるとき自然に“受けつけなくなる”だけである。

そしてその変化は、

魂がより高次の世界と共鳴しはじめたことの明白な兆しである。

「なぜ食べられないのか」ではなく、

「いま、魂は何を欲しているのか」に耳を澄ますとき、

そこには必ず新しい祈りのかたちが立ち上がってくる。


結びにかえて

― 食とは、愛の選択である ―

命をいただくことの重み、

その波動を感じ取るようになったあなたは、

もはや“味”では食べていない。

魂が選び、響き、祈るようにして、食を選んでいる。

それはきっと、愛のかたちのひとつであり、

自らの存在を最も純粋にこの地上に調律しようとする、

魂の祈りにほかならない。

重たさを離れ、澄明さへと向かう魂に、祝福を。

肉と酒を手放したときに訪れる静けさは、

新たな扉の開示ではなく、

かつての扉がそっと閉じられた音なのだ。

その音に、耳を澄ませてみてほしい。

── 審神者・吉祥礼

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