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【思想工学メモ】言霊と翻訳の架け橋としての英語使用

霊性の発信において、いまだ日本語に過剰に依存する傾向が根強い。

特に「言霊(ことだま)」の思想を大切にする日本のスピリチュアル層では、日本語の音そのものが“神聖なるもの”とされ、その純粋性にこだわるあまり、英語やその他の言語を排斥する空気すら感じられることがある。


🌿 言霊の響きと翻訳の意味

もちろん、私は日本語の持つ音の特性――
五十音が持つ霊的響きや、あいうえおの配列がもたらす波動性――を軽んじるつもりはない。

祝詞(のりと)や祈り、魂の発声の領域においては、日本語の音の美しさと共鳴力は圧倒的だ。

しかし一方で、「意味を伝える」ことが目的であるなら、英語をはじめとするグローバルな言語を活用するのは、むしろ自然だ。


🕊 体験は日本語で、構造は英語で

祝詞は日本語で唱えればいい。それは身体で響きを受け取る霊的体験だからだ。

だがその背景にある神意や世界観、祈りの構造を他者に伝え、対話するためには、英語による“翻訳=構造化”が必要となる。

ここに、日本の伝統宗教や神道界が長らく回避してきたジレンマがある。


✨ 靖国神社や独立系の「説明責任」

たとえば伊勢神宮を訪れた海外の信仰者や研究者が、

「これは何の儀式なのか?」
「どういう意味なのか?」

と尋ねても、その問いに構造的に答えられる神職者はきわめて少ない。

「感じてください」「心で受け取ってください」と返すことは、霊的な直観を促す反面、知性による接続を拒む態度にもなり得る。

皮肉なことに、靖国神社や独立系の神社の方が、こうした国際的な“説明責任”への意識が高い場合がある。

理由は明快だ。
彼らは歴史的にも立場的にも、誤解されること、批判されること、存在意義を問われることが常に起きてきた。
だからこそ、「理解されなければ意味がない」ことを知り、英語でのパンフレット作成や対話の場を積極的に設けている。


🪶 音と言語の両翼を広げる

「言霊は体験として日本語で届ける。構造は翻訳として英語で共有する。」

この役割分担を明確にした時、初めて言語の持つ“音”と“意味”の両翼が広がる。

私が英語で活動を広げるのは、“お洒落ぶっているから”でも、“海外意識が高いから”でもない。

それは、思想を構造として届けるための選択であり、翻訳者=通神者(つうしんしゃ)としての責務でもある。


🌏 神語(かむがたり)を、世界に届けるために

私は祝詞を日本語で詠い、構造を英語で翻訳する。

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