朝の光が、まだ机の上に落ちる前。
私は、ひとさじの粉をカップに入れる。
その音すら、静寂の中に染み込んでいく。
お湯を注ぐ。
立ちのぼる香りが、
「今日」という時間の始まりを告げていた。
コーヒーは“目覚め”ではなく、“儀式”だった
世の中には、目を覚ますためのコーヒーがある。
そして、心を整えるためのコーヒーもある。
ネスカフェ「ゴールドブレンド」。
AGF「ちょっと贅沢な珈琲店」。
どちらもインスタントという手軽さを持ちながら、
そこには明確な“時間の質”の違いがある。
ゴールドブレンドの「洗練された中庸」
ネスカフェの看板商品「ゴールドブレンド」。
その味は、バランスそのものだ。
酸味、コク、香り。
どれも突出しすぎず、かといって薄くもない。
まるで静かに寄り添うパートナーのように、
私の日常に溶け込んでくれる。
少しミルクを入れてもいい。
ブラックでもやさしい。
それは、“声を荒げない強さ”に似ている。
ちょっと贅沢な珈琲店の「深みに沈む時間」
一方、AGFの「ちょっと贅沢な珈琲店」。
こちらは一口で、その名の意味がわかる。
レギュラーソリュブル製法による、豆本来の余韻。
苦味は深く、コクは厚みがあり、
“物語の中に落ちていくような感覚”がある。
たとえば、午後の光が傾く頃。
読書の傍らに置くなら、私はこの珈琲を選ぶ。
祈りのような一杯
このふたつのコーヒーに共通しているのは、
「無理に主張してこない」ということだ。
だからこそ、こちらが“自分のペースで飲める”。
それは、まるで祈りのようだ。
誰に見せるわけでもなく、
誰のためでもなく、
ただ自分自身と静かに向き合うための行為。
高価ではない、しかし“贅沢”
「贅沢」とは価格の問題ではない。
それは、どれだけ自分の時間と感性に丁寧でいられるかだと思う。
私は今日、
500円分の粉から、20回の小さな“静寂”を淹れる。
1杯たったの25円でも、
この時間は、決して安くはない。
結びに代えて
コーヒーは、飲み物ではない。
それは、静けさを可視化するための装置だ。
ゴールドブレンドがもたらす安定。
ちょっと贅沢な珈琲店が導く沈思。
どちらも、私にとって“光の余白”だった。
今日もまた、湯を注ぐ音だけが、
部屋の空気を震わせている。
☕️追記:ラストに添えるコーヒー雑学
そして……
この一杯の向こうには、悠久の旅路がある。
コーヒーは、遥かエチオピアの高原から始まり、
イエメンでスーフィーの祈りの飲み物となり、
トルコで“語らい”の文化を育み、
やがてヨーロッパへと渡っていった。
17世紀のロンドン。
ペニー・ユニバーシティと呼ばれたカフェハウスでは、
保険会社、新聞社、証券取引所――
今の社会インフラの原型が、
コーヒーとともに静かに蒸気を立てていた。
わたしたちが何気なく淹れるこの一杯には、
そんな世界の“思索と経済”が、そっと溶けているのかもしれない。
