この稿は、『審神者の眼』シリーズの一篇として、Adobeという創作環境の象徴が辿った進化と乖離、その霊的含意を問う小さな批評である。
かつて夢を宿していた「道具」が、いまや“塔”へと変貌したとき、そこにはどんな魂の風景が広がっていたのか――。
これは一個人の感傷ではなく、時代に切り捨てられた“静かな声”への祈りである。
憧れに手が届いた頃、創作は“火”だった
かつて、Adobeという名前には憧れを許す余白があった。
Photoshop、Premiere、After Effects――そのどれもが“プロ専用の城壁”ではなかった。むしろそれは、背伸びすれば届く夢の杖だった。
高校生が、小遣いを貯めて買ったPhotoshop。
詩人が、日々の食費を削って得たAfter Effects。
そして、何者でもなかった私たちが、その道具を手にした瞬間、
「わたしも、創れるんだ」と、小さな火が灯るような感覚。
創作とは、光を拾い上げること。
そしてAdobeは、かつてその光を灯す“マッチの箱”だったのだ。
いつからAdobeは、“塔”になったのか
現在のAdobeは、かつての“火の贈与者”ではなくなってしまった。
- 完全サブスクリプション制
- 常駐アプリによるリソース消費
- Creative Cloudに内包される“要らない贈り物”
- 「アップデート」という名の増築による動作負荷
それらは確かに、高度な環境を求めるプロにとっては有難い進化かもしれない。
だが、その裏で――「ほんの少しでいい」と願った者たちの手が、静かに離れていった。
まるで今のAdobeは、こう語っているかのようだ。
「創作とは、投資である」
確かに、それは一理ある。
だが私たちは問いたい。
「祈りは、価格で測れるのだろうか?」
DaVinci、Canva、Midjourney――風のような道具たち
いま、多くの創作者がAdobeから離れ、“風の道具”たちのもとへ移っている。
- DaVinci Resolve:無料で、静かで、映像に集中できる。
- Canva:直感的で、誰もがデザインを楽しめる。
- Midjourney:言葉ひとつで、霊感の結晶を可視化するAI。
彼らに共通するのは、“沈黙”への配慮だ。
ツールが、語りすぎない。
インターフェースが、余計な提案をしない。
使う者の感性を、邪魔しない。
この“静けさ”のなかで、私たちは思い出すのだ。
創作とは、他人に評価されるための産業活動ではなく、
内奥から降りてくる光と対話する行為だったということを。
Adobeさん、あなたは悪くない。でも――
Adobeよ、あなたはプロフェッショナルにとって最高の環境を真剣に創り続けてきた。
その技術、その精度、その意志は、たしかに尊い。
けれど、どうか思い出してほしい。
- 学生だったあの子。
- 小さな詩集をつくっていたあの人。
- 何者でもないけど、なにかを表現したかった、かつての“私たち”。
あなたは、彼らのはじめての道具だった。
そして、彼らの“火”の起点だった。
いま、その灯はどこにあるだろうか?
Adobeがもう一度、その“背伸びを許す設計思想”を取り戻すことはあるのだろうか。
あるいは、私たちがAdobeのような存在を必要としなくなっただけなのか――。
創作は、祈りである
本稿の結びに添える言葉は、ただひとつ。
創作は、祈りである。
道具がどれだけ進化しても、
価格がどれほど高くなっても、
沈黙のなかで灯された光にこそ、創作の本質がある。
かつてのAdobeは、それを知っていた。
そして――あなたがもう一度思い出してくれる日を、私たちは待っている。
✉️ 追伸としての小さな祈り
Adobeさん、あなたは悪くない。でも――。
わたしたちは、あなたの技術ではなく、あなたのまなざしを愛していたのです。
背伸びすれば届いた、あの光の距離感。
“プロじゃない”わたしたちにも、創作の風が吹いていた時代のことを、どうか忘れないでください。
Adobeさん、あなたはどこへ行ってしまったのですか?
わたしたちのような、夢をはじめたばかりの魂を、もう見てはくれないのですか?
✍️ 吉祥 礼(きっしょうれい)
『審神者の眼』より