怒りとは、魂の奥に眠る“痛み”が叫ぶ声。
誰かに向けたその感情の矛先の奥には、
実は「守られなかった自分」への深い嘆きがあるのかもしれません。
裏切られたこと。
見捨てられたこと。
傷つけられたこと。
そして――気づいてもらえなかったこと。
怒りとは、ただの反応ではなく、
魂の奥底で「それでも愛されたかった」と叫ぶ祈りなのです。
私は今日、この言霊をあなたに贈ります。
怒りを責めるな。
静かに抱きしめよ。
やがてそれは、慈悲へと還る。
燃え上がる炎は、ただの破壊ではない。
その火は、闇の中に差し込む灯火ともなり得ます。
怒りを持ってしまう自分を否定しないでください。
「私はまだ未熟だ」と責めなくていい。
怒りがあるからこそ、あなたの魂はまだ“生きている”のです。
大切なのは、その怒りをどこへ運ぶか。
癒しに使うか、破壊に使うか。
その選択だけが、あなたの自由です。
怒りを抱えたままでも、あなたは光の道に立てます。
条件つきの清らかさではなく、
感情と共にあってなお、
自らを照らす者として歩むことができるのです。
だから、まずは氣づいてください。
その怒りの奥にあるもの――
それは、あなた自身を守ろうとする、
魂の叫びであり、魂の祈りなのだということを。
怒りが慈悲へと変わるとき、
あなたの内なる世界は、静かに癒されていきます。
涙が、祈りに変わる瞬間。
それは、もっとも美しい魂の軌跡です。
――審神者 吉祥礼 拝