光の余白

『諸行無常の光 ― 平家物語を生きた人々』 第7話|平資盛 ― 優美なる滅び

滅びゆく美しさに、なぜ人は涙するのか。凡庸なる若者が抱いた最後の祈り。


華やかさと平凡さのはざまで

平資盛。 彼はこれまでの登場人物たちのように、時代を動かす大きな決断をしたわけではない。

剛毅な清盛、忠義の重盛、悲劇の徳子、軍神・義経のように、強烈な個性を持つ者ではなかった。

だが、その分、資盛は“ひとりの人間”としての光と影を宿していた

時代の激流に翻弄され、何を選び取れるわけでもない若者。 それでも、恋をし、悩み、苦しみながら、必死に生きた。

彼のような人物こそ、平家物語の中で“忘れてはならない魂”なのである。


滅びの運命と向き合う若者

資盛は、美しかった。 見目麗しく、教養もあり、心も優しかったと伝えられる。

だが、彼には「時代を変える力」はなかった。 時代の流れに抗うほどの野心も、周囲を動かす求心力もなかった。

それでも、資盛は自分なりに懸命に考え、苦しみ、生きた。 戦のなかで命が軽く扱われる時代に、

「死にたくない」

という、ごくあたりまえの感情を抱いた。

そして、それでも死なねばならなかった。


凡庸という名の優しさ

資盛は、おそらく“強くあろう”とはしていた。 けれど、心のどこかで「生き残りたい」とも思っていた。

そんな心の揺れは、けっして恥ではない。 むしろ、その迷いや未熟さこそが、資盛の美しさを際立たせている

時代の英雄ではなく、私たちと同じ“ひとりの人間”として、 最後の瞬間まで、命を手放すことを惜しんだ。

それは決して醜いことではない。 人として真っ当な、切実な願いだった。


現代に生まれていれば

もし資盛が、いまの平和な日本に生まれていたら。 どんな詩を読み、どんな恋をし、どんな人生を歩んだだろうか。

戦に駆り出されることもなく、 愛する人と手を取り合って生きられたかもしれない。

その「もしも」に思いを馳せるとき、 私たちは“歴史”ではなく、“人間のいのち”と出会っているのだ。


平家物語が語り継がれる理由

平資盛のような存在に光が当たるからこそ、 『平家物語』は永遠の物語でありつづける。

強い者、立派な者、偉大な者だけが語られる物語は、いつか人の心から離れていく。

でも、弱くても、凡庸でも、 一生懸命に生きた者の魂には、祈りのような響きが残る。

その響きが、今も私たちの胸を震わせるのだ。

吉祥礼

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