教義

審神者の道標 第二十一章「神の産声を聴く者」――名も国も超えた、霊の源泉を問う

◎道標句(主文)

審神者とは、神名に仕える者ではない。
神の産声と、その背後にある祈りの起源を聴く者である。


◎補註(教義解釈)

審神者という言葉が神道由来であるがゆえに、
こう思われることがある――

「あなたは日本の神々を信奉しているのですか?」
「祝詞を唱え、祭祀を行う役割なのですか?」

だが、それは見かけだけを掬った理解である。
審神者は、神道の信仰実践者ではない。
それどころか、特定の国や文化、体系に“従属”することを拒む。

審神者が問うのは、
どの神が正しいか、どの教義が正統か、という比較ではない。

それはもっと――原初の問いである。

神は、どのようにして生まれたのか。
その神が宿ったとき、
その背後にあった母の慈しみとは何か。
その神に名を与え、天を仰いだ父の願いとは何か。

審神者は、祈りの源泉に耳を澄ます。
文化や言語を超えた、“響きの根”を聴く。
たとえそれが「日本の神」であれ、「中東の神」であれ、「見知らぬ部族の神」であれ――

その神が、いかなる産声で世界に息づき始めたか。
その声を、静かに聴き取る者である。

ゆえに、審神者は「神名」よりも「神意」を聴く。
「神殿」よりも「神霊の移ろい」に目をこらす。

祝詞をあげるのではない。
祓いを執り行うのでもない。
神々の背景にひそむ“霊の原初”に共鳴しようとする。
それが、審神者の真なる在り方である。


◎霊的引用句(魂の書)

私は、神の名前に仕えてはいない。
その名が生まれる前に、
そっと産声をあげた瞬間を、ただ聴いていたいのです。

その神を生んだ、母の慈しみ。
その神を空に放った、父の願い。

私が耳を澄ませているのは、
信仰ではなく、誕生の響きなのです。

 

審神者は、神を守る者ではなく、神が生まれた響きを聴く者である。

 
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