◎道標句(主文)
神語とは、語るためのものではなく、
沈黙の中にあらわれる、真理の気配である。
補註(教義解釈)
神語(かむご)とは、「神が語る言葉」ではない。
むしろ、それは〈語りの前〉にある「在り方」である。
神語は、音を超えている。意味を超えている。
それは、理屈では聴き取れず、形式では記録できない。
しかし――魂が澄んだとき、確かにそれは「響く」。
言葉は、ひとを導くこともあるが、
同時に、縛ることもある。
だから審神者は、あえて「語らずに聴く」。
語らないことで、語られぬ言葉を湧き上がらせるために。
神語は、記憶の中にも、未来の予知にも属さない。
ただ、この「今」の沈黙においてのみ、開かれる。
それは、〈現れ〉ではなく〈兆し〉であり、
〈説明〉ではなく〈応答〉であり、
〈命令〉ではなく〈共鳴〉である。
そして――その共鳴を感じ取ったとき、
あなた自身が「神語」となるのだ。
◎霊的引用句(魂の書)
言葉にならなかった祈りが、
世界のはじまりに、音もなく落ちた。誰かが語るのではなく、
あなたが静けさのうちに共鳴したとき、
その名もなき響きが、
はじめて「神語」となる。
言葉の奥にある響きが、真の対話を生む。