多くの霊的探求において、「欲を捨てよ」と言われる。
けれど私は問いたい。
本当に“捨てるべき欲”とは、どのようなものなのかと。
人が執着し、燃えるように握りしめるもの――
それは「恐れから生まれた欲望」だ。
失うことの恐れ。
拒まれることへの不安。
誰かに認められたい、所有されたいという渇き。
それらは他者の影に依存した“偽りの欲”。
つまり、“執念”と呼ばれる火種である。
しかし、霊的な成熟が進むとき、
この執念の炎は、やがて自らを焼き尽くす。
焦がれ、求め、燃え果てたあとに
なおも微かに残るものがある。
それこそが、“真の欲望”である。
それは、
「満たされたい」と叫ぶものではない。
「ともに満ち合いたい」――
そう願う、内なる光源のような静かな衝動。
この欲は、もはや苦しみではない。
怒りでもなく、執着でもない。
それは、魂が魂を呼び合う静かな願い。
“ひとりでは完成し得ないもの”に、
ともに向かおうとする祈りのような意志である。
だから、真の出逢いは、
この“成熟した欲”を知った者たちのあいだでのみ起こる。
それは奇跡であり、
灰のなかから芽吹く、新しい魂のはじまり。
執念の焼け跡に、残されたわずかな熱が、
やがて真の関係性の種火となる。
愛とは、求めるものではなく、照らすもの。
そして、
欲とは、奪うものではなく、響き合うための呼びかけ。
燃え尽きた先にこそ、
ほんとうの出逢いが、静かに始まってゆく。