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胆石発見!激痛で胆のうを腹腔鏡下手術で切除してみた(後編)

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胆のうに胆石が見つかって手術を行うことになり、クリスマス近くに入院。

これまでの人生で入院も手術も初めての経験だっったので、不安を感じ緊張もしました。

入院生活は手術前は暇で余裕のあるものだったのですが、手術後は状況が一変し苦痛とストレスを伴うものとなりました。

早く退院したい一心でしたよ。

術後3日後に退院することができ、その後の年末年始は自宅でひっそり療養。

日常生活が違和感なく送れるようになるまでに術後2週間、担当医からもGOサインが出て運動機能面でも問題無しとなったのは2ヶ月後のことです。

胆のうの生体検査の結果、癌に対しては問題なしと診断されホッと一息。

日常生活の完全復帰までには手術後3ヶ月程度の時間を要しました。

人生初の入院生活

病院に到着し受付を済ませ外科病棟に向かいました。ベッドの清掃などが済むまで40分ほど病棟の待合室で待機することになりました。

その間、入院中の注意事項のビデオを観させられたりして、お昼すぎに病室へ入ることができました。

そこで看護師さんから入院スケジュールの説明書をもらい了解した旨のサインをしました。

入退院で7日間程度の期間を想定しているとのことでした。つづいて担当医から手術の説明をうけました。腹腔鏡下手術という手法で執刀するとのこと。

特徴は4~5箇所ほどの小さな穴をあけて、そこから内視鏡や器具を忍び込ませ手術をするというものでした。

開腹手術と比較して患者の身体へのダメージが少なく、回復も早いというメリットが有るのだとか。

私は最初、手術とはお腹をガバっと切り開いて手術をするものという先入観があったので、数か所の穴を開けるだけという手法の説明を受け、医学の進歩に驚きと感謝の念を持ちました。

これらの説明後に手術を受けることに了解する旨のサインをしました。つづいて今度は麻酔科に行って全身麻酔の説明を受けました。

全身麻酔の手順とメリット(手術中に意識がないので痛みを全く感じない)やデメリット(ごくまれに体質的に合わずに拒絶反応がでる患者がいる)ことなどの説明を受け、簡単なビデオを見た後にここでも了解の旨のサインをしました。

さて、病室に戻って夕方から本格的な入院生活が始まりました。

食事は7時、12時、6時に病院食が配膳されました。正直量は成人男性が普段食べる分量に比べれば少ないですが、入院生活は多くがベッドの上で過ごすため運動量も少ないため、かえってこれくらいの量が適性なのかなと思いました。

味に関してはまったく不満はなかったです。今の病院食は栄養士さんや調理師さん達の工夫の積み重ねもあり、進歩しており病院食はまずいという古い価値観でいた私は考えを改めることになりました。

ところで筆者は今回クリスマスイブを病室で過ごしたのですが、その日の夜は小さなケーキがサービスとして出たりというサプライズがありました。

お風呂は夜間はNGで9時から18時までの間に、1人30分間の予約をいれることができました。シャワーのみで湯を張って湯船に浸かることはできません。

トイレは4人部屋の各病室にひとつの割合でついて、ウォシュレット機能付きで特に不快に感じることはありませんでした。

生活の基本はベッドの上なのですが、ずっとベッドにいると腰が痛くなってくるので、折を見て外出していました。

病棟のスタッフに一言外出する旨を告げれば、病院内のスターバックスコーヒーやファミリーマートに出かけていくことが可能でした。

私は手術前日までは飲食の制限を設けられていなかったので、小腹がすいたときはプロテインやサラダチキンやサンドイッチなどを購入して食べていました。

また外科病棟の待合室には自動販売機があるので、お茶やジュースやコーヒーを購入して夜間や深夜や早朝などに飲んだりしていました。

今回の入院は長期間にはならないだろうと私は見込んでいたので、部屋は個室ではなく4人部屋を選択しました。

ちなみに個室は1日別途8000円の費用がかかるとのことでした。

個室は確かに共同生活のストレスから開放されるのはメリットなのですが、費用節約のために短期間なら我慢できるであろうと考えたのです。

しかし実際に4人部屋を経験してみた感想は、色々とストレスを感じるシーンがありました。

  • トイレや歯磨きなどの設備を好きな時に好きなだけ使えるというわけにはいかない
  • 他人のいびきやうめき声に付き合わなければならず、自身がいびきをする場合は加害者になる
  • 他人の面会者が来訪した時はとにかくうるさく、彼らは1時間くらい長居する
  • 自分自身も他人の迷惑にならないよう、騒音を出さないようになど常に色々と気を使う

正直なところ、入院の後半ではこのストレスフルな病室生活を抜け出したくて早く退院したいと切に願うように。

さて話題を変えて、入院生活で役立ったアイテムをあげてみたいと思います。

  • Kindle・・・入院中は暇なので読書がはかどります。本と違いKindle端末ならば手持ちの荷物を減らすことができます。また夜9時の消灯後もフロントライト機能付きの機種であれば、暗い部屋でも読書可能なので快適です。
  • ワイヤレスイヤホン・・・共同部屋では生活音などのノイズがとても気になります。イヤホンはストレスを軽減するために必須アイテムだと感じました。またケーブルが絡みつかないように、ワイヤレスのものにすると快適です。可能であればノイズキャンセル機能付きのイヤホンであれば更に快適です。
  • iPad・・・読書だけでなく動画も楽しめます。とくに漫画を読む人はもっておくと便利です。
  • 番外でスマートフォンのテザリング機能・・・病室には無料Wi-Fiが通っていなかったでスマートフォンのテザリング機能が活躍しました。入院中は普段より大容量のプランに一時的に変更しておくと良いと思います。

入院中に特に思い出深かったのは、クリスマスイブの夜が明けた朝のことでした。

ベッドにはいつの間にかクリスマスカードが置いてありました。そこには看護師スタッフの皆様の心温まるメッセージが添えられていました。

クリスマスケーキのおやつの差し入れに続いて、二度目のサプライズ。

こういった心の交流は入院中の弱った精神には実に染み入るものがあり、温かい気持ちになりまた勇気づけられ励まされました。

手術開始!そしてやっぱり来た術後の苦痛地獄

入院4日目、手術当日。前日の夜から固形物はNGとなり、手術中の脱水症状予防のために経口補水液オーエスワン(OS-1)を朝までにペットボトル1本分を接種しておくなど、いよいよ行動に制限が加わり始めました。

毎日のルーチンである検温、血圧測定などを済ませベッドで待っていると、手術着に着替えてほしいと看護師さんから言われ衣装を手渡されました。

パンツ一丁になり下肢静脈瘤の手術後の合併症予防のためにストッキングを履き、薄い生地の前開きになっているガウンのような服を羽織りました。

出血で汚れても目立たないように白色ではない青地の生地でした。そしてお昼の12時に移動式のベッドの寝かされてガラガラと音を立てながら、看護師さんと外科病棟から手術室へ移動しました。

手術室は廊下が広く、様々な機械がおいてあり照明が明るく、何個かの手術部屋が存在していました。

私は手術部屋に入る前に廊下で全身麻酔を受ける処置を施されました。横向きに寝てボールのように丸まるように指示をされ、そのとおりにしているとチクリと背中に痛み止めの注射をされました。

数分後にズプリと背中に太い針のようなものが突き刺さった感覚があり、熱いものが背骨に流れてくるような感覚がありました。

麻酔科の担当医の先生が、あと数分もしないうちに意識が途切れますよと私に語りかけました。

私はそんなものなんだ、でも意識がなくなる瞬間はどんな感じなのか興味深いなと頭で思っていました。

・・・と、そこでバッサリ意識がなくなってしまい、記憶が寸断されてしましました。

正直、意識がなくなる瞬間を感じ取ることもできませんでした。頭の中で「ずとまよ」ちゃんの曲がなぜか流れていました。

ああ、この曲はチェーンソーマンのアニメのエンディング曲のひとつだっけ?などという思考がぼんやりと頭をよぎりました。

目が覚めました。目を開くとそこは、四人部屋のベッドの上の天井でした。

左右を確認すると左に妻の姿、右になにかの計器や数種類の点滴が備え付けられていました。

股間にも違和感があるのを感じました。尿管に管が刺さっているようでした。

あれ?ここはどこ?もう終わったの?手術は?今何時。え?全然記憶ないんだけど、本当に記憶が途切れてあっという間だったんだけど、なにこれ?などと支離滅裂な言葉をとめどなく口にしていました。

かなりハイテンションでした。妻が言うには手術は無事に成功、今は15時、手術は2時間ほどで済んだとのことでした。

摘出した胆嚢はガンの検査の為に生体検査へ提出され、胆石は試験管のようなものの中に別途に取り出され保管されていました。

胆石の色は乳白色でした。数ミリの小さな丸い石状のものが100~200個程度ありました。

私は、ああ胆石がこんなに胆のうにあったらそりゃ痛いよねと感想を口にしました。

胆石はとっておくかと聞かれたので、病院側で処分してしまってくださいと妻に意思を伝えました。

手術後に目覚めてから2時間位は興奮状態にあったのか、とくに何も感じなかったのですが日が暮れて夜になるとだんだん気持ちが冷めてきました。

身体のいろいろな部分が冷静に感じ取れるようになってくると、不調や痛みを理解するようになりました。

番苦痛だったのは寝返りがうてないこと。背中に痛み止めの麻酔の針と管、右手に点滴、尿管には排尿用の管が刺さっていました。

口には酸素マスクがつけられており、文字通り身動きできないがんじがらめの状態でした。

ベッドの下敷きには床ずれ防止のために空気がプシュプシュ送られてきて、色々な箇所が膨らんだり沈んだりするものが取り付けられていたのですが、それも付け焼き刃というか何の慰みにもならず、体中が痛く特に腰はズキズキ痛みました。

この痛みと苦痛を機器が取れるまで、あと24時間以上も我慢しなければならないのはこの上ない苦痛でした。

苦しい時間ほどゆっくり感じるもので、このときの時計の針は遅々として進みませんでした。

まさに地獄の苦しみ。あまりの苦痛に、看護師さんに手術後の傷が痛む際は手元のボタンを押すと痛み止めの麻酔が流れる仕組みになっていると説明をされていたのですが、実際のところはボタンの存在をすっかり苦痛で忘れてしまっていた次第です。

耐えること丸一日、次の日になり麻酔の管と床ずれ防止のマットが取り外されました。おかげで少しだけ状況は楽になり、ちょっとだけ左右に寝返りがうてるようになりました。

寝返りを打つと、手術後の傷が痛みました。また切除した胆嚢があった臓器の場所が空白になっているのが、体感的に分かるのが何とも不気味に感じました。

昼には全粥がでました。こんなに弱っているのに食事も何もあるものかと思いました。

今の病院や医学では早期のリハビリや食事の提供は、患者の日常生活への復帰をはやめる上で有効であるという認識が一般的になっているとのこと。ゆえに私も食事やリハビリがトントン拍子で開始されていきました。

その日の午後には看護師さんとのリハビリが開始され、肩を借りてふらつく足で30歩、外科病棟の廊下を歩くことができました。

この貧弱な30歩が人生再起の最初の30歩になりました。

1時間後、点滴の機器を取り付けたままのろのろ廊下を進み病棟を1週50メートルほど歩くことができました。3時間後には、ゆっくりですが着実に一歩一歩、廊下を2週まわることができるようになりました。

日が暮れて、全粥の夕ごはんを食べました。少し心のなかに元気と希望が湧いてきました。

しかし事態はそうトントン拍子にはすすまず、その日の夜はまた痛みと苦痛との戦いがぶり返しました。あまりの苦痛とストレスに精神的にナーバスになってしまい、翌朝の朝ご飯は全く手をつけることができませんでした。

それでも手術後2回目の朝を迎え、朝食後に点滴と尿管の管がいよいよ取りはずされました。

ちなみにここで印象に残っているのは尿管の刺さった管を抜くときは、一瞬ですが痛いということでした。

インパクトのある痛みを一瞬ですが感じました。

さて、やっと身体的拘束から解き放たれ自由の身となりました。この開放感と言ったら何とも言えない至福の瞬間でした。

寝返りが自由にうてる、トイレに行ける、シャワーにも行ける。これは計り知れないほど精神的にプラスに働きました。

気持ちが前向きになりました。あっという間に身体的な不調が好転していきました。

病は気からといいますが、まさにそうでした。

昼食は元気よく完食する事ができました。その日の午後には、病院の廊下をスイスイ歩けるようになりました。昨日は他の入院患者の皆さんにドンドン追い抜かれていた身でありながら、一日でのイッキの回復ぶりに晴れやかな気持ちになりました。

その日の夜には院内にあるファミリーマートまで散歩に出かけることができるまでになりました。

そこで私は、明日退院しようと心のなかで決意しました。

退院とその後の日常生活への復帰の苦労

入院生活が4日目を過ぎたあたりから、共同部屋での生活に精神的にいよいよ参ってきていました。もうこのストレスに耐えられないな、限界だなと感じていました。

それから更に数日が過ぎ手術後3日めの朝、食事を完食したあと回診に来た担当医の先生に今日退院したい気持ちでいる旨を伝えました。

先生は傷の具合を触診でチェックし、手術後のお腹全面に赤い発疹ができてしまったのは気がかりだが、傷の具合は順調に回復しているので歩行に問題がなければ、退院して問題はないとの診断を受けました。

そしてその日の昼にベットを引き払い、迎えに来てもらった妻にカバンを持ってもらいながら病院を退院することができました。

(ちなみにこの発疹は後日、帯状疱疹かもしれないということで別途、皮膚科へ行き見てもらった結果、ただの発疹だということでかゆみ止めの薬を処方してもらいました。こちらのほうは3週間ほどで完治しました)

退院後の医師からの注意点は以下の2つでした。

  • 重い荷物を持ったり、力んだりして腹圧をかけないこと
  • 食べすぎないこと

私も退院後ぶり返すのは恐怖でしたので、その言いつけはしっかり守りました。

お腹のキズは普段は痛くないのですが、大きく深呼吸したり、笑ったり、くしゃみをしたりすると痛みました。

階段を降りたりして振動を感じたりしてもズキリと痛みました。傷は小さいとはいえお腹に5箇所、生々しく残っていました。

その痛々しい状態を目の当たりにすると、この傷が癒えるまでは無理はできないよなと心底思いました。

年末年始は静かに自宅で安静にして過ごしました。お腹の傷が開いてしまうリスクがあったので、うかつに外出しないように心がけました。

年が明けて2024年、手術から2週間後にスポーツジム通いを恐る恐る再開しました。

マシンや器具には一切触れず、フィットネスバイクのペダルを軽い負荷で20分漕ぐというのを2セットだけ行いました。

2月に入るまで毎日、ジムではこのメニューだけを行いました。

手術後1ヶ月が経過したころ、病院で経過をチェックしました。傷も順調に回復しているので食事も日常生活も普段通りに戻して良いという先生のお達しがありました。

生体検査の結果、ガンの心肺はないことが判明しほっと胸を撫で下ろしました。

2月に入りジムでマシンを使った低負荷の運動を再開。さらに2週間後、いよいよジムで高負荷のトレーニングを再開しました。

手術後から2ヶ月が経過していました。

体調面でも変化が生じました。以前より便通が良くなりました。

胆汁がよく出るようになったせいかもしれないと個人的に思っております。

また食事をしても疲れを感じることも減りました。これも胆汁の出が順調になっていることが関連しているのかもしれません。

手術後3ヶ月が経とうとしていますが、今現在はすっかり日常生活がパワフルに送れるようになりました。肉体的にも精神的にもカムバックできています。

今回の体験から私が思うこと。結論としては、胆石が原因で痛みが出たら、医師から提案があれば胆嚢摘出の手術を前向きに検討してみることは良いことだと思います。

わたしは手術を経て、体調が以前より良くなりました。激痛の走る腹痛の恐怖も怯えなくて済むようになりました。

以上、私の体験がご参考になれば幸いです。

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