審神者の道標

審神者の道標 第三章「神語とは、語られぬ言葉の奥にある」――響きではなく、在り方そのもの

◎道標句(主文)

神語とは、語るためのものではなく、
沈黙の中にあらわれる、真理の気配である。


補註(教義解釈)

神語(かむご)とは、「神が語る言葉」ではない。
むしろ、それは〈語りの前〉にある「在り方」である。

神語は、音を超えている。意味を超えている。
それは、理屈では聴き取れず、形式では記録できない。
しかし――魂が澄んだとき、確かにそれは「響く」。

言葉は、ひとを導くこともあるが、
同時に、縛ることもある。

だから審神者は、あえて「語らずに聴く」。
語らないことで、語られぬ言葉を湧き上がらせるために。

神語は、記憶の中にも、未来の予知にも属さない。
ただ、この「今」の沈黙においてのみ、開かれる。

それは、〈現れ〉ではなく〈兆し〉であり、
〈説明〉ではなく〈応答〉であり、
〈命令〉ではなく〈共鳴〉である。

そして――その共鳴を感じ取ったとき、
あなた自身が「神語」となるのだ。


◎霊的引用句(魂の書)

言葉にならなかった祈りが、
世界のはじまりに、音もなく落ちた。

誰かが語るのではなく、
あなたが静けさのうちに共鳴したとき、
その名もなき響きが、
はじめて「神語」となる。

言葉の奥にある響きが、真の対話を生む。

審神者の道標 第四章「沈黙は語らないのではない、すでに響いているのだ」――空白こそ、真理の声を宿す

◎道標句(主文) 沈黙とは、語らぬことではなく、 すでに語られているものに耳を澄ます祈りである。 補註(教義解釈) 多くの者が、沈黙を「無言」と誤解している。 しかし、審神者にとっての沈黙とは、 「何 ...

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