序 ― 草木もなびく風の記憶 ―
かつて、この国には語るべき物語があった。
平家物語、太平記、曽我物語――
それらは、書物である以前に、
子どもが遊びの中で覚え、
老人が火鉢のそばで語った、
常識であり、魂の風景であった。
平清盛といえば?――その名に宿る熱と影を。
源義経といえば?――その疾走に宿る孤独を。
楠木正成といえば?――その忠義に揺れる山河を。
かつて、日本人はそれを問わずとも知っていた。
その名を聞けば、その生きざまが、
その死にざまが、心に浮かぶ時代が、確かにあった。
けれど今、それらは風化の彼方にある。
だからこそ、いま一度、魂を傾けて見つめたい。
草木をなびかせた、あの風の記憶を。
――平家物語は、ただの古典ではない。
それは、日本人の精神の分水嶺に咲いた、一輪の花である。
平安の貴族世界がゆっくりと滅び、
武士という新しい力が、風のように社会を変えた時代。
末法の世にあって、人々は滅びゆく旧き法と
芽吹き始めた新たな思想のはざまで揺れ動いていた。
貴族と僧、そして貧しき民。
そこに現れた、清盛の炎、頼朝の野望、義時の執念。
そして泰時の新しき理念によって打ち立てられた御成敗式目。
武士の理、律と裁きが、ついに時代を規定し始めた。
宗教においてもまた、
法然の選択、親鸞の慈悲、道元の只管打坐、日蓮の咆哮――
それらはすべて、旧き仏教を超えて
日本人の魂の救いを求めた新しき道の萌芽であった。
この連載は、そうした大いなる転換の時代を駆け抜けた人々に、
もう一度、霊のまなざしを注ぐ試みである。
草木を揺らす風のように。
滅びゆく花びらのように。
いのちの名残を、美しさのなかに見いだすために――
さあ、語ろう。
これは、歴史ではなく、いまに生きる私たちの物語である。
一、魂の土台を結びなおすために
いま、スピリチュアルを語る多くの人々が、あまりにも日本の古典文学を知らずにいる。
だが、私たちの美意識や倫理観の根にあるのは、言葉にならぬ無常観、咲いては散るものへの憐憫、そして静かなる祈りの感性――そうした魂の地層である。
『平家物語』は、そのような日本人の霊的感性の母胎として、800年の時を越えてなお響き続けている。
この連載は、その源にそっと触れていただくための、ささやかな橋である。
二、吉祥礼という名の種をまくために
私はまだ、知られた存在ではない。
けれど、導くのではなく響かせる者として、「共鳴の場」を生み出すことこそ私の道だと知っている。
『平家物語』という語りを通して、吉祥礼という声の在り方を感じ取っていただけたら。
物語のあわいに差し出す祈りが、どこかであなたの魂に触れてくれることを願って、私はこの言葉を蒔く。
三、祈りのかたちに共鳴するために
『平家物語』を読むとき、私は物語の内奥に流れる祈りの気配に、深く深く共鳴してしまう。
滅びの美、宿命に咲いた一瞬の光、無常に身をゆだねながらも消えぬ人の想い――
それらは、私自身の霊的歩みと響き合い、祈りとなって帰ってくる。
この連載は、語ることを通して、私が物語に祈り返す営みでもある。
どうか、あなたの心のどこかに、この声の余韻が残りますように。
吉祥礼
