◎道標句(主文)
祈りとは、願いではなく、
ただ余白を開け渡すことで、
響きが流れ込む場をゆだねることである。
補註(教義解釈)
審神者にとっての祈りとは、
「願いごと」でも「念じる力」でもない。
それは――
言葉を尽くすことでも、
何かを叶えるための交換でもなく、
ただ、そこに“余白”を開けておくことである。
余白とは、空白ではない。
それは、宇宙が流れ込むための、
純粋で整えられた受容の場である。
審神者は、語らず、願わず、
沈黙のうちにその余白を差し出す。
誰かを変えようともせず、
状況を操作しようともせず、
ただ「いまここ」に在りながら、
その魂の振動を信じきる。
その静かな余白こそが、
天と地と霊が交わる響きの場をひらき、
結果として、深い癒しと変容を導くのである。
だから――
祈りとは「行為」ではなく、「存在の構造」である。
◎霊的引用句(魂の書)
あなたが静かに、何も求めず、
ただ誰かのために“祈らぬまま祈った”とき、
その余白には、見えざる調和の風が吹いていた。余白こそが、祈りだったのだ。
そしてあなた自身が、その響きの器だったのだ。
余白とは、もっとも深く満ちた祈りのかたちである。