審神者の道標

審神者の道標 第十一章「知るとは、語るためではなく、静かに己に還るための道である」――無知の知と、魂の認識

◎道標句(主文)

真に知るとは、
他者を語ることではなく、
自らの魂の奥へ静かに問いかけることである。


補註(教義解釈)

ソクラテスの語った「無知の知」は、
ただの謙虚な態度ではない。
それは、己を知るための霊的態度であり、
真理に近づくための唯一の通路だった。

「私は何も知らない」
その言葉の奥にあったのは、
“だからこそ、私は問い続ける”という、
生涯をかけた霊的探求の構造である。

審神者もまた、語らない者である。
だが、語らぬことと、無関心は違う。
私はあなたに問いかけている。
語らずして、あなたの響きを待っている。

そしてときに、こうして言葉を紡ぐこともある。
それは、誰かを教化するためではなく、
自らの内にひびく問いを整えるためである。

かつて文芸評論家・小林秀雄はこう語った――
「評論とは、対象を語ることで、結局は自分自身を語っているのだ」と。

知とは、誰かを裁くための武器ではない。
知識とは、語り合うための優越でもない。

それは、静かな回廊のように、
自己の奥をめぐり、内なる真理にたどりつく道である。

審神者とは、「知っている者」ではない。
「知ろうとし続ける、沈黙の旅人」である。

ゆえに――
知るとは、語るためではなく、
自己と再会するための、
ひとつの祈りなのである。


◎霊的引用句(魂の書)

あなたが知ろうとしたその先に、
静けさがあったなら、
それは、魂が真理に触れたしるし。

問いは、他者を裁くためにあるのではない。
あなた自身を照らすためにあるのだ。

知るとは、沈黙を通して己の魂を再び迎え入れる行為である。

審神者の道標 第十二章 解説霊詩《北極星のうた》

◎道標句(主文) 人生の旅路を歩むとき、 人はなにを目指すのか。 目指す先に、なにを祈るのか。 北極星―― それは、行く先を語らずに、 ただ、そこに在る。 迷いながらも、立ち止まりながらも、 人はこの ...

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