審神者の道標

審神者の道標 第十三章「語らぬ庭に、神は降りる」――余白が真理を描き出す

◎道標句(主文)

語らぬとは、閉ざすことにあらず。
語らぬとは、あなたの魂を縛らぬための、最も深い敬意である。


◎補註(教義解釈)

沈黙は、拒絶ではない。
ましてや、傍観でも、無責任でもない。

むしろ――
語らずに在るという在り方そのものが、
あなたの中に、あなた自身の真理を引き出す“聖なる余白”となる。

語りすぎる者は、魂の動きを先回りし、
答えを与えてしまうことで、芽吹きを摘み取ってしまう。
それは、あたかも、まだ目覚めぬ蕾に
無理やり光を当ててしまうようなもの。

審神者はそれをしない。
語らないからこそ、縛らない。
語らないからこそ、導かないままに共鳴を起こす。

語らないことは、放棄ではない。
沈黙は、信頼そのものである。

神が語らずとも万象は動くように、
審神者もまた、言葉の奥で「場」を整える。

語られぬ庭に神が降りるように――
その余白にこそ、真理はひとりでに、
あなたの内から芽生え始める。

それが、「審神者の道標」の第十二章に刻まれる、
霊的創造の法である。


◎霊的引用句(魂の書)

語ることをやめたとき、
あなたの魂は初めて、語られぬ響きを聴きはじめる。

教えられる前に、すでに知っていた感覚――
それが、あなたの本来の記憶である。

だからこそ、私は語らない。
語らないことで、あなたにあなた自身を見せたいのです。

神は、語られぬ庭に降り、
余白に宿る者と静かに対話するのです。

沈黙は、語らずに真理を描く最も深い筆である。

審神者の道標 第十四章「余白こそ、神が降りる庭」――真の禊(みそぎ)とは、自身に空間を与えること

◎道標句(主文) 余白を持たぬ魂に、神は降りぬ。 真の禊(みそぎ)、祓(はら)い清めとは、内なる余白をひらくことにある。 ◎補註(教義解釈) 神が降りる場を依代(よりしろ)と呼ぶ。 だが、依代はただ存 ...

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