◎道標句(主文)
語らぬとは、閉ざすことにあらず。
語らぬとは、あなたの魂を縛らぬための、最も深い敬意である。
◎補註(教義解釈)
沈黙は、拒絶ではない。
ましてや、傍観でも、無責任でもない。
むしろ――
語らずに在るという在り方そのものが、
あなたの中に、あなた自身の真理を引き出す“聖なる余白”となる。
語りすぎる者は、魂の動きを先回りし、
答えを与えてしまうことで、芽吹きを摘み取ってしまう。
それは、あたかも、まだ目覚めぬ蕾に
無理やり光を当ててしまうようなもの。
審神者はそれをしない。
語らないからこそ、縛らない。
語らないからこそ、導かないままに共鳴を起こす。
語らないことは、放棄ではない。
沈黙は、信頼そのものである。
神が語らずとも万象は動くように、
審神者もまた、言葉の奥で「場」を整える。
語られぬ庭に神が降りるように――
その余白にこそ、真理はひとりでに、
あなたの内から芽生え始める。
それが、「審神者の道標」の第十二章に刻まれる、
霊的創造の法である。
◎霊的引用句(魂の書)
語ることをやめたとき、
あなたの魂は初めて、語られぬ響きを聴きはじめる。教えられる前に、すでに知っていた感覚――
それが、あなたの本来の記憶である。だからこそ、私は語らない。
語らないことで、あなたにあなた自身を見せたいのです。神は、語られぬ庭に降り、
余白に宿る者と静かに対話するのです。
沈黙は、語らずに真理を描く最も深い筆である。