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胆石発見!激痛で胆のうを腹腔鏡下手術で切除してみた(前編)

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44歳になった著者は、ある日の晩ごはんをちょっと食べすぎました。

数時間後、お腹が急に痛くなってついには立っていられない痛みに見舞われました。

妻の運転で病院へ行き、待合室でのたうち回るハメに陥り、結局その原因が胆のうにある胆石であることがわかり、後日、手術をすることに。

以下にその体験を、発症、検査、入院、後日談と順を追って振り返ってみようと思います。

プロローグ 健康診断で胆石を発見していたが放置

会社勤めではなく個人事業主を営んでいる私は、妻のすすめもあり2023年の3月に自費で健康診断を受けてみることにしました。

その際に、超音波検査も受けたのですが、そこで先生から「なんとなくですが、胆のうに石があるみたいですね」と指摘を受けました。私はえ〜!?とびっくりして、「それって手術とか必要なんですか?」と聞き返しました。

すると先生は「痛みとか自覚症状がないみたいなので、ひとまずこのまま様子を見ることにしましょう」と言いました。

私は大事にならないことにホッとして、そのまま病院から自宅に戻ってきました。それから数週間後に検査の詳細が郵送されてきて、特に検査結果に問題はないことが確認できました。

この結果に気を良くして、私はすっかり胆石のことを忘れてしまいました。これが後にとんでもない事態になるとは、ぜんぜん予想だにしていませんでした。

自分で言うのもなんですが、ほんとお気楽なものです。

夜間に腹痛が襲う

数ヶ月が経ちました。

お腹の調子は可もなく不可もなくでしたが、ある日の夜に腹痛に襲われました。時計の針は24時を過ぎていました。

お腹が痛いな、なにか変だなという異変を感じて目が覚めました。食べ過ぎかな?と最初は思いました。

横にならずに少し起きて椅子に座っていれば、具合は次第に落ち着くだろうと考えました。しかし腹痛は全くおさまりません。それどころか痛みはどんどんひどくなっていきました。

ちょっと内心焦ってきました。これはもしかして救急車?病院?盲腸?手術?などという言葉が、頭の中を目まぐるしくよぎりました。

痛みは様々に変化して、差し込むような鋭い痛みの時もあれば、鈍い痛みの時もありました。また、背中、肩、みぞおち、腰など色々な箇所に痛みが出てきました。

正直なところこれはただの胃痛ではないのでは?と薄々感じてきましたが、私は怖くていやこれは胃痛だ、じっとしていれば時期によくなると勝手に自分の中で解釈してしまいました。

素直に現実を受け入れられなくなっていました。しかし事態は改善するどころか、明け方4時近くになっても痛みはおさまりませんでした。

私はいよいよこれはもう病院に行こうと、あと20分痛みが引かなければ救急車だと決断しました。しかしそこで偶然の奇跡が起きました。

痛みが引き始めたのです。朝の5時半にはすっかり痛みは引いてきました。

結局この日はほとんど睡眠をとることができず、ウンウンと痛みに耐えて唸っていたら朝になってしまいました。

私は偶然、助かりました。幸か不幸か痛みが引いてしまったのです。

このとき私はこの痛みを、痛みが引いたのでやはり胃痛だったのだろうと自分勝手に解釈してしましました。胆石のことは頭にすっかり無くなっていました。

朝になってしまいましたが私には食欲はありません。憔悴しきっていて、その日は1日寝込んでしまいました。

後日、かかりつけの内科クリニックに行って診察の折に、先生に痛みがあったことを相談しました。先生にそのときは、胆石のことは告げませんでした。

本当に忘れていたのです。胆石の情報のない先生は、私の言う通り食べ過ぎの胃痛かもしれないので、ひとまず様子をみましょうと意見を述べました。

こうして私は、このときもまた結局のところ、問題を引き伸ばし先延ばしにしてしまったのでした。

11月、激痛が突然に我が身を襲う

その日の夜はさばの味噌煮を食べました。

食後にPCでネットサーフィンをしていたのですが、1時間ぐらいしたあたりで胃の右下あたりが痛むことに気が付きました。

あれ?食べすぎたかな?それともサバにあたった?食中毒?など色々考えましたが、素人考えでは痛みの原因など特定できるわけがありません。

時間が経つにつれて痛みはどんどんひどくなってきます。だんだん立っていることはもちろん、椅子に座ってうずくまっていることですら耐えられなくなってきました。

食べ過ぎの胃痛や食中毒ならトイレに行って吐けば、状態は改善するかもしれないと思い吐こうとしますが、何も吐き出すことができません。しかし痛みとともに吐き気もあるような気もします。

トイレから出られなくなり、トイレでのたうち回ることになりました。時間は夜中、24時をまわっていました。

いけなかったのは前回の成功体験(我慢すれば痛みが収まってしまったこと)を引きずっていたことです。そのため病院に行く決断をズルズル引き伸ばしてしましました。

しかし今回はいよいよ耐えられなくなりました。深夜2時になろうという時になってやっと、病院へ行く決断をしました。

妻が病院へ相談してくれたのですが、救急車はなるべくさけて自家用車で来てほしいとのことでした。私は内心、勘弁してくれと思いました。

てっきり救急車で病院へ行けると思っていたのです。結局、病院へは妻が車を運転して行くことになりました。

寝ていた娘を起こして、寝ぼけたままの彼女を連れて、車の後座席に乗り込み地域の総合病院へ向かいました。

その間、車の中ではもはや、脂汗がでるほど腹痛はひどくなっており、また吐き気も催していました。早く!早く!病院へついてくれ!!そればかり願って車内でのたうち廻っていました。

病院へついて、一目散で夜間の急患の受付へ急ぎました。私は受付の係の人達へ、状態が危機的であることを伝えました。

しかし受付の人達には、私の緊急性と深刻さが理解できていないようでした。しばらくお待ち下さいとそっけなく言われただけでした。

すぐに対処してもらえると思っていた私は、大変な肩透かしをくらった形になりました。絶望しました。

しかしだからといって痛みはおさまるわけがありません。その間も私は吐き気と痛みとに耐え続けていました。

でもそれもすぐに我慢の限界に達し、私は待合室のロビーのソファーから転げ落ち、苦痛で床を転げ回りました。のたうち廻ることしかできなくなっていました。

すると救急治療のエリアから看護師が複数名、移動式のベッドを押して駆けつけてきてくれました。私はベッドへ乗せられました。

吐き気が限界に近い旨を彼らに告げると、嘔吐用のビニール袋を私に渡してくれました。ベッドに横になったまま、私はすぐさま吐瀉物を吐きまくりました。

正直危なかったのです。あと数分、看護師さんたちの到着が遅れていたら、私はロビーの廊下に嘔吐していたところでした。

私は吐き終わると意識が遠のいていくのを感じました。点滴の針をさしますね、ちょっと心臓が熱くなる薬を投与しますね、この書類にサインしてくださいと色々言われましたが、もう言われるがままにしていました。

あれこれ判断する思考能力も気力も、その時はもうありませんでした。私は意識を失いました。

次に意識が戻って目が覚めた時、お腹の痛みはずいぶん軽くなっていました。しかしまだ私はベッドに横たわったままでした。

大変明るい証明の廊下に私はいました。おそらくここは手術やその他、救急患者の対処をする場所だということがなんとなく理解できました。

外科医の先生が到着しており、うーん僕の経験と見立てだと胆のうだと思うんだけど、石があるんだと思うんだけど。伊藤さん、どうですか?痛みは色々、移動しましたか?ここは痛みますか?簡易のエコーじゃ分かりづらいな、などと言っているのが聞こえました。

私は先生の質問にいくつか答えました。先生の見解では、私は急性胆嚢炎ではないかということでした。そして原因は胆石が管を塞いでしまったために発症し、偶然にも石が管から外れたため痛みが収まったのではないかとのことでした。

ひとまず後日、日を改めて院内で精密検査をしてみましょうということになりました。そして今日は痛みが収まったようなので、胆汁が出やすくなる薬と抗生物質を処方するので、帰りに薬局でもらって帰宅してくださいと言われました。

私はフラつきながらベッドから降り、ゆっくり歩いて家族の待つ待合室へ戻りました。そして胆石が今回の事態の原因であろうろいう事を妻に伝え、病院に急患料などで5000円を支払って、病院をあとにしました。

帰り際に病院近くの深夜でもやっている薬局へ足を運び、処方された薬を貰い受けてから、自宅へ車で戻りました。朝の5時を過ぎていました。

憔悴しきっていた私と家族は、そのまま眠りました。その日はたまたま土曜日だったので、娘の小学校がなく幸いでした。

精密検査の結果、胆のうを全て切って摘出することに

1週間後の金曜日、私は1日がかりで精密検査を受けることになりました。

まず生体検査です。これは鼻の穴の中に綿棒をつっこまれるもので、コロナウイルスに感染ているかなどをチェックするためのものです。

その検査にパスするといよいよ本格的な検査を受けていくことになりました。

まず血液検査。私は血管が細く、脈が分かりづらい体質のため看護師さんに何度も注射針を刺し直されるハメになり苦労しました。

次にレントゲン撮影。1時間待ちでした。

そしてなんと心肺機能の検査も行いました。心電図の確認と、肺活量の検査でした。

思いっきり息を吸い込んで、限界まで強く吐き続けるといういう検査です。私は年齢並みの肺活量とのことでした。

続いてこれが今回の検査のメインとなるエコー技師による、超音波検査がありました。これで胆石の有無、そして他に問題がないかを確認することになりました。

上半身裸でベッドに横たわり、技師の人の持つ端末をグイグイ何度もお腹に押し当てて、画像が写し出される仕組みです。

そして最後にMRI検査を行いました。金属や時計、メガネ、そしてヒートテック素材の下着などは全てNGということで、私は更衣室で全てを脱ぎ、与えられた検査着に着替えて検査を受けました。

大きな音がするということで防音機能のあるイヤーマフを着用させられました。

ベッドに寝かせられ、巨大な機械のなかに入って轟音のするなか10分ほどの検査を行いました。

そして2週間後、検査の結果が告知される日、私は妻と二人で病院へ向かい外科の診察室で先生から説明を受けました。

予想通り胆石があるとのことでした。痛みが発生してしまった今回のような場合は、手術をおすすめしますとのことでした。

しかしその手術で胆のうは摘出されてしまい無くなってしまうことが告げられました。

でも胆のうという臓器はなくなってしまっても、肝臓でつくられた胆汁は胆管を通って十二指腸に流れこむので代替が効き、日常生活では大きな支障がないことを説明されました。

私は生まれて初めて、臓器を失うという事実を突きつけられてショックをうけましたが、すこし逡巡(しゅんじゅん)したあと、あの痛みをまた経験することだけは勘弁してほしいと思い腹をくくることにしました。

こうして胆嚢切除の手術を決断したのでした。

クリスマスの日に手術を受けることに

手術を決断し、その旨を先生に告げると早速、その日のうちに入院日と手術日の日程の調整が行われました。

また同じ日に入院の各種手続き、レンタルの下着や病室着の契約、歯ブラシやシャンプー、ボディソープなどのアメニティグッズの購入契約をおこないました。

続けて入院生活の説明を受けたり、薬剤師から常飲している薬の確認を受け、その他には家族や親類の連絡先の登録なども行いました。

そして12月22日金曜日に入院、25日月曜日に手術という日程が正式に決定し、結局、私達夫婦はこの日、病院に6時間ほど滞在したあとやっと家路につきました。

さて、手術が初めての経験である私は入院までの2週間あまりの期間、精神的に落ち着いていたかというとそんなことはまったくなく不安でいっぱいでした。

ネットで手術の知識を調べまくったり、YouTubeで胆のうの手術をおこなった体験者の動画を何度も視聴したりと、胆石と胆嚢手術の知識を知ることでなんとか不安を紛らわせようと必死でした。

そして私の好む好まざるに関わらず刻々と時は過ぎ、ついに覚悟の決まらまいまま入院の日を迎えたのでした。

胆石発見!激痛で胆のうを腹腔鏡下手術で切除してみた(後編)

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